■ 2016年1月パリ: パサージュ・デ・パノラマ、ジュフロワ、ヴェルドー |
■ 全国100万人の読者の皆さま、飛び飛びになっていますが、パリ報告を続けるエリーでございます。
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●今回のパリ話は、2016年1月パリ、このくくりでまとめています。投稿自体は京都の話題が入ってくるの飛び飛びになりますが、このくくりでパリだけひと続きでご覧いただけます。
●今回の計算:1ユーロ135円です。
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■ パサージュです。いつもの通り、大好きかっしー=鹿島茂先生の参考書「パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡 」と、「パリの秘密」(Kindle版あり)を携えてのパサージュ歩きです。
■ この界隈のパサージュは、いちばん華やかなパサージュ・デ・パノラマ、パサージュ・ジュフロワ、パサージュ・ヴェルドーと連なっていますので、この3パサージュを表敬訪問のように歩きます。
■ 鹿島茂先生の「パリの秘密」から引用します。
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パリに行ってそこに足を向けないと、まるで欠乏症患者のようにイライラしてくるのがモンマルトル大通りにあるパサージュ・ジュフロワである。
なにしろ、最初にこのパサージュ(ガラス屋根のアーケード商店街)に足を踏み入れてからもう25年以上もたち、いったいそこを何回通リ過ぎたかわからないのに、行くたびにいわく言いがたい恍惚感に包まれてウットリするのだから、私のパサージュ中毒は深刻だ。
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まさにわたしもこの鹿島先生の中毒がそのままうつったというかいただいたというか、ただ歩いて通り過ぎるだけにしても、歩かずにはいられない場所になっています。
「百年の孤独」ならぬ「百年の衰退」がこのパサージュに独特の風情を与えているのだと鹿島先生はおっしゃいます。「もう百年以上も寂れつづけていることになる」パサージュなのだと。
■ 3つのパサージュを、南から歩きましょう。毎回同じ場所から同じアングルで撮っている写真もありますが・・・だって好きなんだもん(^o^)(^o^)/
●モンマルトル大通りから、向こう側にパサージュ・デ・パノラマ。(パサージュ・ジュフロワを背にしています)
●近づいてもう1枚。モンマルトル大通り側は立派な入り口でしょ。(逆側がどうなるか後で見せます。)
●パサージュ・デ・パノラマを北側=モンマルトル大通り側から入ったところ、こんな感じです。
●訪れるべきは、「パサージュ53」と(前回2015年6月に食事)、
●「ギョーザバー」ですね♪
●ここらへんくらいまでかしらん、パサージュ・デ・パノラマが華やかなのは。
●「ニューカシミール」というインド料理店です。で、ここより南になると一気にさびれ感が出るんですよ(*_*)(*_*)
●これが同じパサージュの、逆側の口って、すごい落差だと思う。(-_-;)(-_-;)
●南側は細い、サンマルク通りに面しています。さきほどはブールヴァール(大通り)でしたから、風情が違うのは仕方がないんだけど。そしてこちらは完全に2区になってます。
●あわわ。西側に派生したギャルリ・フェイドーなどただのゴミ置き場。。
●こちらも。。まーそりゃ、ゴミ捨て場も必要だろうが、整備されてなくて、もう投げやりという感じ。(*_*)(*_*)
●東側に派生した通路もあり(ギャルリー・モンマルトルというらしいが、モンマルトル通り【モンマルトル大通り「Boulevard」 Montmartre ではなくて、「Rue」 Montmartre モンマルトル通り】に面した表示はこのようにパノラマで出ている。)、これはまだまとも、日本の牛丼の店ができてたりもしました。しかしその日本の牛丼店より先のモンマルトル通リ側は、やはりただ「荒廃」の言葉しか浮かばないような風情でした。つまりやっぱり、パサージュは荒廃とか衰退とかを含み持って成り立っているんだなあとしみじみしたのです。
●牛丼のお店「Oïshinoya」の写真も撮ってましたね♪ パサージュ・デ・パノラマから派生したパサージュですが、この部分はギャルリー・モンマルトルというのを今回初めておぼえました。
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●さてパサージュ・デ・パノラマを再びモンマルトル大通りまで戻って、パノラマ側からパサージュ・ジュフロワを眺めます。
●こんな入り口。
●少し引いて、モンマルトル大通り向かい側から眺めると、ジュフロワの入り口の東側(右手)に、赤いグレヴァン美術館のエントランスが見えますね。
●これです。ミュゼ・グレヴァン、えらい立派になってました。有名な蝋人形の館ですが、設備がすごくよくなっているみたい。わたしは20年前に訪れたきりです。さささと見て行こうかなと思ったけれど、15分で見るには惜しい感じ・・・入場料も、日本円にして3500円くらいと結構なお値段で、そうなるとちょっと覚悟決めて行きますよね。
http://www.grevin-paris.com/fr
このドハデなウエブサイト見てみて(^o^)(^o^)
●パサージュ・ジュフロワ、南側から入って北を見たところです。
●おしゃれなサロン・ド・テが1軒あって、
●「ル・ヴァランタン」、こんど来たら、きっと入ろう・・・
●営業時間もここに控えておきます。朝食メニューもありました。
●北側でいったん突き当たりになっていて、「オテル・ショパン」があります。ここから左に折れる小さな階段があります。
●「オテル・ショパン」のエントランス上にかけられた時計・・・「1846」、このパサージュの竣工年です。
2016-1846=170。170年の時間がここにたゆたってるんだなと思いながら、次へ進みます。
●パサージュ・ヴェルドー。こここそ本当にもう終わっています。この終わりっぷりがたまらなくいいです。もう下手に手をかけないでと思う。
●ヴェルドーを抜けると、パリで最古のコンフィズリ(でショコラトリ)、「ア・ラ・メール・ドゥ・ファミーユ」、1761年創業です。歴史的建造物に指定されている建物です。支店があちこちにできているけれど、ここがいちばん美しいです。
●庶民的なカデ通りを歩いて、メトロのカデ駅も通過、歩いていったん帰宅しました。
パサージュ話、まずはここまで。また違うパサージュの話を改めてアップします。
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■ これはKindleになって比較的新しいです、
パリの日本人 鹿島茂 中公文庫
明治の元勲・西園寺公望、江戸最後の粋人・成島柳北、平民宰相・原敬、宮様総理・東久邇宮稔彦、京都出身の実業家・稲畑勝太郎、山の手作家・獅子文六……。ベル・エポックから両大戦の間、最盛期のパリで日本人が見たものとは? 文庫版用書下ろし「パリの昭和天皇」収録。
・・・ということです。文庫版書き下ろしなんて言われたら、読みたくなるではないのw
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(2016-02-20)
2016年2月 20日, dans 2016年1月パリ | lien permanent