■骨折お見舞い御礼 その2 |
■全国100万人の読者の皆さま、優しいお見舞いメールを本当に続々といただき、感謝しております。ごく短くでも返信をと頑張っておりますが、左手しか使えない上、こなせる数を上回っております。お返事できていない方、ごめんなさい。あまりに多く寄せられている疑問に、ここで答えます。左手で頑張ります。 ●チャリでぶつかって来た相手方はわかっているのか? 対応はどうだったのか? 相手はわかっています。どう見ても学生さん風情。「あなたの身分を教えて」と倒れながら言ったわたしに素直に学生証を出してくれました。育ちのよさそうな京大生、「これ写真撮らせてね」と無事だったデジカメで接写させてもらい、携帯番号も教えてもらいました。一応ジャーナリスト、何でも記録する習性がついていますからこういうことは抜かりないのです。 ●なぜ道端で転がったままだったのか? 誰も救急車を呼ばなかったのか? 何人か声もかけてくれましたが祭日の三条大橋、ごく若い人たちばかりで道端で音楽やってるような夕刻、道端で寝そべってる赤い女がいてもきっと違和感がなかったのでしょうね(大笑い)。件の京大生さんには、「とにかくこれを届けて」と、急ぎで、三条花見小路の先にある茶懐石出張料理店にわたしが届けようとしていたものを託してそちらに向かってもらったのです。救急車に関しては、これは自分でも後からアホやったなと思うのですが、呼べばよかったな。でもね、わたし今年の初めに他界した母親の時に救急車呼んでいるのです。だから、なんとなく本当に「死とすれすれ」とか、人事不省状態とか、そういう時のもんという感覚になりきっていました。痛い痛い手が痛いと思って道に転がりつつも、意識は明晰だったし、直前にいた「ミディ・アプレミディ」に電話する余裕もありました。そうしているうちに京大生さんも戻ってきたから次なる用件を彼にお願いした段取りのいいわたしです。すなわち、「わたしのチャリを、わたしの家まで運んでおいてね。わたしはここからタクシーに乗って病院に行くから。」素直に届けてくれた彼、ええ子やと思いました。
■しかししかし、右手が使えないという不自由さは、もう本当に本当にどんなに語っても語り尽くせないものです。普段はめちゃくちゃにキーボード打つの早いのに、左手1本だとアホみたいに時間がかかります。取材時もペンが持てません。いつもすごいスピードで大量の文字を書くのに、1文字も書けない。くやしいったらありません。髪を留められず、必ず身につけるパールのネックレスを付けられず、指環はいったんはめたらはずせないからそれもパス。・・・イメージ変わっちゃうやん。さらに日常生活全般の不如意さときたらすさまじいです。いつ何があっても絶対に落ち込まない、常に笑っていい方向に転がすのだと決めて久しいわたしですが、めげそうな気分になる瞬間もあります・・・。顔も傷がひどいのです。雑誌掲載用の写真も撮れません。涙。
■「その後具合はどうや~?」と親心を発揮して電話をくださるのはキヨシ君改め、文藝春秋・わが「CREA eats」編集長(にして雑誌局長らしい)西川清史さんです。「かわいそうになあ、不自由だろうなあ、お尻も十分拭けんだろうなあ」。 もそっと天才的写真を撮る巨匠・ハリー中西はといえば、「右手なかったら、鼻くそ取るの大変やなあ」だと。
男どもよ! もうちょっとマシな見舞いの言葉はないのかよおおお~~~???
男どもよ! もうちょっとマシな見舞いの言葉はないのかよおおお~~~???
2007年3月 23日, dans ■ごあいさつ | lien permanent